「我」を通すことは悪いが、「己」を…


「我」を通すことは悪いが、
「己」を捨ててしまっても
いけないのだ。

(高野悦子)

一番最悪なのは、
「己」をもたない「我」を通すこと。

そういうことになる。

つまり、言われるがまま、
頼りきったままの自分の状態で、
「我」を通されたら、
周りは、たまったもんじゃない。

何気ない会話に、
「我」か、それとも「己」か、
そのどちらかが見えてくるだろう。

簡単に言えば、
幸せにしてもらいたい人か、
幸せをつかもうとしている人か。

自分の運命を待っている人か、
自分の使命を果たしたい人か…

ある人の話。
その人は、周りに望まれるままに、
「いい人」であろうとしていた。

「我」を通すことなどはめったになく、
同時に「己」も殺していた。
とある出来事を通して、
抑えつけられていた「己」が目覚め、
ちょっとしたパニックに陥った。

しかし、その後には、
カウンセラーの助けなどもあり、
「己」を少しずつ見つける機会が
つくられていった。

もう一人、また別の人。
その人も、同じように、
「いい人」であろうとしていた。

いろんな出来事を通して、
「己」が目覚めるチャンスはあったのだが、
「己」を伏せていた期間が長かったせいか、

「己」を出そうとすると、とたんに、
「我」も出てくるため心が乱れた。
だから、次第に、「己」を出すこと自体に
嫌悪感を感じるようになった。

そんな気持ちを感じることがないよう、
対人関係を遠ざけるような日々…である。

自分のなかの何が「我」で、何が「己」か、
それが分かっていないと、
苦しんでしまうよう。

それの出し方、話し方が、
大切なんでしょうね。

(参考)
頭がいい人、悪い人の話し方(樋口裕一)
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今日のコラムは、「言いたいことを言える」です。
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こんないい言葉もあります。

己の愚かさを知るものは、/既に知者である。/愚者でありながら自ら・.
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