逃避というのは、逃げ去ることではなく、…

逃避というのは、
逃げ去ることではなく、
到着することでもある。

(朗読者、ベルハルト・シュリンク)

どちらかと言うと、
「逃避」という言葉は、
良いイメージがない。

やはり、逃げている感じ。
現実から目をそらしている雰囲気…

でも、確かに、
どこかに到着地点を求めて、
離れたのなら、
他人には「逃避」に見えたとしても、
そんなことをかまう必要はない。

そうなんだよね。

そうそう、こんな経験があった。
かなり以前に、
某社の成功哲学本を購入して、
(普通の書店でも、よく見かけます…)
けっこう気に入ったので、
アンケートを送ったんだな。

そうしたら、たいへん。
その会社の100万円前後もする、
自己啓発システム教材の押し売り電話が、
毎日のように鳴り響くようになった。

電話口で熱弁する営業マンの
話し言葉には参ったね。
「あなたは逃げるのですか?
 決断を延ばすのですか?
 本を読んでも、そんな具合じゃ、
 成功はつかめませんよ。」

確かに、一理ある。
逃げているかもしれない。
ただ、成功を押し付けるそちらも、
どこか、履き違えていないか…
という気持ちが拭いきれなかった。

口頭や文書でハッキリと断っても、
そのしつこさは弱まるところを知らず、
結局は、電話側の機能で、
次々と変わる発信元電話番号を
着信拒否登録をしたくらい…

書籍自体に書いていることは、
今でも役立っているし、
たいへん勉強になったと思うが、

自分の思い通りにならないことに対して、
「逃げるな!」なんて言う資格は、
どんな人間にもないでしょう。

逃げているか、逃げていないかは、
到着地点を見れば、いつか、
自分で分かるはずなんですよ。
人に言われなくても、ハッキリと…

今日のコラムは、
1935年ライジの心「2月8日・9日」です。
幸治君は、どうなったか…

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