学習は本硲雞ナす。


学習は本能です。

(強育論、宮本哲也)

ワタシ的には、これ、
かなりの「へぇ〜」です。

たぶん、たいていの人々は、
学ぶということを、
義務、強制、必要、努力、慣習、
なんていうふうにとらえているでしょう。
(なかには、とても好きな人もいますが…)

逆に、本能と言えば、
食欲、性欲、金銭欲、名誉欲、美や愛への欲、
などが思い浮かびます。

その学ぶと、本能がつながる…?

考えてみれば、
そんな難しい話でもないかな。

学ぶという言葉を意識しなくても、
知りたい、どうなるんだろう、
という好奇心は、みんな持ってますからね。

もし何に対しても、
そういう感情を持てないとなると、
無気力に生きるしかありません。
その無気力の先で、運よく学ぶことが出来れば、
それも本能だったということになりますが…

学ぶということは、
食べると同じくらいの本能。
その本能がもし眠らされてしまうとすれば、
それはなぜか? と考えてみました。

命じられているばかりだったり、
与えられたり、すべて用意されている環境が、
それになりうるかな、と思いました。
だから、本来獰猛なトラでも、
人間に飼いならされると、
いくらかその本能が眠ります。

ただ、何らかの刺激で目覚めることもあります。

人間の場合は、その刺激の求め方が怖いです。
そのような刺激を、キリのない、
自分を失ってしまう他への依存に
求めたりしますから。
たとえば、酒とか、麻薬とか、ギャンブルとか…

学ぶ本能を、目覚めさせましょう。
せっかく、あるということですから。

(参考)
強育論(宮本哲也)
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今日のコラムは「花粉症の人々」です。

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