今日、私が死を目前にして、平穏な心境でいるのは、…
今日、私が死を目前にして、
平穏な心境でいるのは、
春夏秋冬の四季の循環という
ことを考えたからである。
…
人の寿命には定まりがない。
…
十歳にして死ぬ者には、
その十歳の中におのずから四季がある。
二十歳にはおのずから二十歳の四季が、
三十歳にはおのずから三十歳の四季が、
五十、百歳にもおのずからの四季がある。
(吉田松陰、留魂録)
志半ばの30歳にして、
自分を納得させること、
残された仲間に思いを伝えること、
それを目的に書かれた言葉です。
やはり、深みがあります。
しかし、さわやかさもいくらか感じるのは、
これを書いた吉田松陰の納得した心が、
この言葉に映っているためもあるでしょう。
彼は、別の手紙では、
こんなことも言っています。
「死は好むものではない、
また憎むべきものでもない。
世の中には生きながらえながら
心の死んでいる者がいると思えば、
その身は滅んでも
魂の存する者もいる。」
命に執着すると、
あきらめられない色々なものが、
目の前に出てくるけど、
命を越えたところが見えてくると、
かえって、より良い生き方も
見えてきたりするから、
不思議なものです。
それを「悟り」なんて
立派な呼び方はしなくても、
生き方の四季が見えてくるだけで、
儲けもんじゃあないだろうか、
と思います。
今を生きている私は、
四季で言えば、どこだろうか、
なんて考えていました。
(参考)
吉田松陰(留魂録)
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