「後悔と自責」が悲しみを深める


「後悔と自責」が悲しみを深める

(愛する人の死、そして癒されるまで・相川充)

大切なものを失ったとき、
それを後悔するな、
自分を責めるな、
というのは、とても難しい注文だ。

もし、それがダメだとなったら、
怒ったり、他人を責めたくなり、

そして、悲しみが憎しみに
変わったりする。

悲しみがいいか、
憎しみがいいか…

妙な議論がはじまる。

何を失ってしまったのか、
決定的な別れとなってしまったか、
そんなことを含めて考えると、
ますます、これは簡単に、
結論を出せない話になる。

ただ、この言葉を語ったのが、
妻に先立たれた心理学者だ
ということを考えると、

もし、同じようなシーンに
出くわした時には、
心のどこからか引き出して、
悲しみの盾にするべき言葉のように思う。

経験のない私には言えない言葉だけど、
経験のある方が言えば、納得できる。

人それぞれの経験の幅は、
いろいろあると思うけど、
そこから出てくる言葉には、
やはり深みがあるなぁ、と思った。

(参考)
愛する人の死、そして癒されるまで(相川 充)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4804761004/ekotoba-22

こんないい言葉もあります。

離れることは、/終わることじゃない。/(B’zの曲の歌詞)
http://e-kotoba.net/e-cgi/db.cgi?mode=view&no=3603

人間は死ぬとき、/愛されたことを思い出すヒトと /愛したことを思・.
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いい言葉ねっと
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